具志アンデルソン飛雄馬さん 講演会講師 レポート・感想文


京都府与謝野町にて、多文化共生NPO世界人理事長 具志アンデルソン飛雄馬さんをお招きし「人権問題を考える集い」が開催されました。

講演では、11 歳のときに日系ブラジル人3世として来日し、外国人という理由だけでいじめや差別を受け非行に走り暴れた日々の中で人生を変える出会いがあったことなど、実体験を話されました。

最後に「人を恨むことから何もうまれない、恨みからは恨みしか生まれない」と、人を信じる大切さを伝えられました。

いただいた感想を一部抜粋して掲載します。

  • 実体験を通しての講演だったので、イメージが持ちやすかった。スライドに入る数々の言葉が心に残ります。気持ちや心がとても大切であり、思うだけではなく、行動で示していかなくてはいけないと思うことができました。(20代、学校・保育関係)
  • 人は何のために生きるのか、考えさせられました。日々の何気ない毎日が、どんなにばらしいのか、教えていただきました。ありがとうございました。(50代、学校・保育関係)
  • 経験されたからこそ色々な言葉に重みがあり、自分自身を振り返る機会にもなった。人種差別やいじめ問題等、自分ができる最大限のことをしていきたい。(20代、学校・保育関係)
  • 日本社会の排他的なところをすべて体験されたように思いました。それでも、今のような活動をされようと思われたこと、本当に尊敬します。うまく表せませんが、ありがとうございました。(50代、行政関係)
  • 自分を大切にできるから周りの人を大切にできるよ、という言葉が心に残りました。話がとても聞きやすく、あっという間の時間でした。これからも周りの人を大切に自分も大切に生きたいです。(30代、学校・保育関係)
  • 私自は、教育現場で働いていますが、「いじめ」がもたらす負の循環を強く感じました。同じ思いを子どもにさせないよう、大人の努力が今一度重要になると感じました。(20代、学校・保育関係)
  • 自分の見ている世界の狭さに気付かされました。偏見や差別がもたらす心の傷の深さが、その後の人生に大きく影響されることは、想像をこえていた。社会が一体となって向き合わなければ、解決につながらないので、自分にできることを考えていきたい。(40代、学校・保育関係)
  • 体験に基づいたお話で、差別の残酷さや根深さを感じました。人権については、日々の生活の中で考えることが多いです。一つ一つの言葉を人権意識をもって発したいです。(20代、学校・保育関係)

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具志アンデルソン飛雄馬さんの講演は、多文化共生、いじめ 、夢などをテーマとした講演におすすめです。是非一度プロフィールをご覧ください。

>具志アンデルソン飛雄馬さんプロフィール

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具志アンデルソン飛雄馬さん 講演会講師 レポート


「多文化共生NPO世界人」の理事長、具志アンデルソン飛雄馬さんが、「多文化共生社会の実現を目指して」と題し、大阪府内の高等学校でご講演されました。

日本で待ちうけていた、壮絶ないじめ

1990年にお父さんの仕事の都合で、ブラジルから日本に渡ってきた具志さん。

日本の小学校に入ることになりましたが、日本語も分からず、文化にもなかなか馴染めなかった具志さんに対し、次第に暴力や暴言などのいじめが始まりました。

中学生になると、状況は一段と悪くなっていました。
敬語がわからなかった具志さんは、先輩たちから目をつけられるようになっていったのです。

そしてある日、いじめグループのリーダーに胸倉をつかまれた時に我慢の限界が来て、気がつくと拳を振っていました。

ケガをさせてしまった生徒の家に見舞いに行くと、「ここは日本なんやから、日本式で謝れ」と言って、無理やり土下座させられました。

「今まで散々自分のことを殴ってきた相手になんで謝らなあかんのや!ちょっとぐらい事情を聞いてくれよ!」必死に訴えた具志さんでしたが、誰も耳を傾けてくれませんでした。

このことがきっかけで学校を退学。入学した定時制高校も、暴力事件をきっかけに、すぐに退学することになってしまいました。

いじめから非行の道へ

学校には居場所がなかった具志さんは、不良の世界へ。
暴走と喧嘩の毎日を送るようになりました。

「良くないことをしているということは理解していましたが、不思議と不良の世界では外人と差別されることはありませんでした。この世界では、拳さえ強ければ、自分が誰でも人は集まってきました。」

ケンカが強かった具志さんのもとには、たくさんの不良たちが集まり、ついには愚連隊、暴走族を結成するまで大きな組織になりました。しかし、傷害事件を起こしてしまった具志さんは、ある日、逮捕されてしまいました。

人生を変えた出会い

刑務所に拘留されていた具志さんを、ある「おっちゃん」との出会いが具志さんを変えました。

留置所の中で出会ったその「おっちゃん」は、
「自分には家族も仕事もない。でも、ここに来たらご飯だけは食べられる。もうこれしか生きる方法がないんだよ」と言い、涙を流し始めました。

そして最後に、「おっちゃんは今回たぶん刑務所の中で死ぬことになると思う。兄ちゃん、社会に戻ったら、おっちゃんの分まで頑張って生きてや。何があっても、2度とここに戻ってくるなよ。おっちゃんとの約束やからな」と具志さんに話しました。

この時具志さんは、「社会に復帰したら、絶対人のためになることをするんだ」と自分に言い聞かせ、2つの決断をしました。

それは「若者たちが僕のような過ちを犯さぬよう何らかの活動を始めること」。そして、「将来高齢者の方々が安心して暮らせる施設を設立すること」でした。

夢をかたちに

社会に復帰した具志さんは、暴力団を解散させ、ビジネスグループを形成しました。

そして、現在は日本語指導員や子どもたちの相談サポート、全国での講演活動、外国人問題に関する新聞連載記事の執筆、グシグループでの「クリーバ基金」の形成・運営、日本語学習支援サイトの設立などに携わっています。

「犯罪者というレッテルを貼られ、誰からも相手にされなかった時も、僕はひたすら自分を信じ続けました。みなさんも一生懸命生きてください。必ず誰かが見ていてくれています。そして人の痛みがわかる大人になってください。」

具志さんの熱いメッセージを通じて、子どもたちは大切なことをたくさん学んでいました。

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