うつぎ たえこ宇津木 妙子
- 肩書き
- 女子ソフトボール元日本代表監督
ビックカメラ女子ソフトボール高崎シニアアドバイザー
東京国際大学女子ソフトボール部 総監督 - 出身・ゆかりの地
- 埼玉県
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プロフィール
1953年埼玉生まれ。選手時代はユニチカ垂井に所属し、世界選手権にも出場した。
指導者としては、ジュニア日本代表コーチを経て日立高崎の監督に就任。
1997年に日本代表監督に就任後は、2000年シドニー五輪「銀メダル」、2004年アテネ五輪「銅メダル」と活躍し、日本人初の指導者としてISF(国際ソフトボール連盟)の殿堂入りを果たした。2011年にNPO法人ソフトボール・ドリームを設立。現在は後進の育成や競技の普及に尽力している。
略歴
1966年 川島中学校にてソフトボールを始める
1969年 星野女子高等学校(現・星野高等学校)入学
1972年 ユニチカ垂井(岐阜県)入社 (14年間プレーし国内優勝も多数)
1974年 世界選手権出場 ※現役引退後、ジュニア日本代表コーチ就任
1986年 日立高崎(現:ルネサス高崎)へ監督として招かれる。2002年までの16年間、全日本総合4回・日本リーグ1部4回他 優勝多数。
1990年 全日本監督として、世界選手権・アジア大会(銀メダル)
1996年 アトランタオリンピックコーチ(4位)
1997年 全日本代表監督就任1998年 世界選手権(3位)・アジア大会(準優勝)
2000年 シドニーオリンピック(銀メダル)
2002年 世界選手権・アジア大会(銀メダル)
2003年 ルネサス高崎総監督に就任
2004年 アテネオリンピック(銅メダル) ※大会後、全日本監督を辞任
2005年 ISF(国際ソフトボール連盟)殿堂入り
2008年 解説者として北京オリンピックでともに戦う(金メダル)
2009年 ルネサステクノロジ(現・ルネサスエレクトロニクス)高崎事業所シニアアドバイザー就任
2010年 東京国際大学女子ソフトボール部総監督に就任
2011年 NPO法人ソフトボール・ドリーム設立
2014年 世界野球ソフトボール連盟理事に就任
2015年 ビックカメラ女子ソフトボール高崎シニアアドバイザーに就任
主な講演のテーマ
1. 夢の実現~努力は裏切らない~
2. チームビルディング~“人財”を育て、自分が育つ~
3. 夢と人生~何事にも真正面から向き合うこころ~
学生時代上手な選手ではなかったが、自分にできることはなにかを考えることで社会人チームでも活躍できるようになった。指導者になってからも、最初は3部リーグでのスタートだった。1部チームとの違いは選手の取り組む姿勢と意識によるものだと認識。練習によって自信をつけさせるとともに、整理整頓、礼儀、挨拶といった「生活のル-ル」をつくりチーム改革を行った。日本代表の監督に就任後は、目標を明確にしたチーム作りが最も必要だと感じ、“金メダルを取ろう”を合言葉に、とにかく厳しい練習で世界のレベルまで引き上げた。個性派ばかりの選手の心をどのように一つにできたのか。宇津木流の指導法をお伝えします。
※下記の内容を、少し講演内容に盛り込むことが可能です。
・宇津木麗華・上野由岐子と歩んだ3大会のオリンピック
・13年ぶりの金メダル、解説で神解説
・宇津木妙子と宇津木麗華の師弟物語
講師紹介動画
聴講者の声
- 非常に良かったです。山あり谷ありの人生の中で監督になり、成功するにはやはり、大変な努力と人との関わりが大事なんだと感じました。
- 「努力は裏切らない」「きちんと向きあう」など、いまの子どもたちに聴かせたい言葉が多かったです。ありがとうございました。
- アテネ・東京オリンピックの感動がよみがえりました。ためになるお話に感動です。
- 叱ることに対して気を遣うこの時代に貴重な話を聞け、本当に良かったです。
- とても感動した講演でした。あっという間に時間が過ぎました。同年代の女性、刺激を受けました。私も自分で出来ることを頑張っていこうと思いました。
- 一人ひとりの性格・環境を把握し相手を導いていく素晴らしさ、見習いたいです。また、自分を見つめ直すことの大切さも改めて感じました。ありがとうございました。
- 経験を話してもらい、とても参考になった。指導者としてのあり方を、今の教育者に教えてもらいたい。ひとりひとりをもっと見てやって欲しい。褒めて伸ばす!
- とても良かった。本当に来て良かった。努力することの大切さがよく分かった。マネジメントの力・私の今の自分に不足していることに気が付いた。