いわもと みつひろ岩本 光弘
- 肩書き
- ライフコーチ
モチベーショナルスピーカー - 出身・ゆかりの地
- 熊本県
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16歳で全盲となった岩本光弘さん。
講演では、様々な葛藤を乗り越え、辛坊治郎氏と夢のヨットでの太平洋横断、ハーフマラソンやトライアスロンなど、新たに挑戦を続ける岩本さんの涙と夢のストーリーをお話いただけます。転ぶことをおそれるのでなく、何度でも立ち上がる精神力を持つ岩本さん。そのメッセージが、障がいの有無にかかわらず、聴く人たちを勇気づけてくれる講演です。
プロフィール
1966年、熊本県天草市生まれ。アメリカカリフォルニア州サンディエゴ在住。
全盲のヨットマン。多感な思春期である13歳の時に残存視力を少しずつ失い始め、16歳で全盲となる。当時は自分が視覚障害だという現実を受け止められず、ある日先生から「安全に歩くためにはこの杖を使いなさい」と言われた際も「俺はめくらなんかじゃない!」と杖を投げ返した。人の迷惑にしかならない人生だったら、死んだ方が良い。生きる意味などない―。ついに全盲になった16歳の夏休み、橋から海に飛び込んで自殺しようと、バスに乗って橋に向かった。でも、どうしても死ねなかった。そのあとは少しずつ、私は変わっていった。私が何故、どうやって変わっていったのか。人とのつながりの中で、自分自身のものの見方がいかに自分の人生を変えていくか、私は気づき始めました。現在、日米の小中学校・会社や病院での社員研修などで、生きることの意味や価値を伝えながら、人々に勇気と希望のメッセージを伝え続ける。ブラインドセーラーとしても活動し、2013年にはニュースキャスター辛坊治郎氏と夢のヨットでの太平洋横断に挑戦。ハーフマラソンやトライアスロンにも挑戦し続け、何事にもチェレンジする勇気と実行力の価値を、身をもって周りに伝え続けている。
略歴
1966年 熊本県天草市に生まれる。
1979年 13歳で残存視力を失い始める。
1982年 16歳で全盲になる。橋の上から飛び降りようとするも断念。
1988年 22歳で熊本県盲学校専攻科理療科卒。
1989年 23~25歳の時に広い世界を見たいと、奨学金を得て、San Francisco State Universityに2年間留学。(~1991年)
1992年 26歳の時に筑波大学付属盲学校で教員として以後14年務める。教員を務める傍ら、青山学院大学で心理学を学ぶ。(~2006年)
2002年 36歳で「障害者と健常者が共に楽しむマリンライフ」が理念であるヨットライフ千葉の存在を知り、東京から千葉に移住してアメリカ人である妻と一緒にヨットを始める。
2006年 40歳で1歳になる娘の将来を考え、カリフォルニア州サンディエゴに移住。
2013年 47歳でニュースキャスター辛坊次郎氏と太平洋ヨット横断に挑戦。
2016年 50歳でトライアスロン ハーフアイアンマン完走。(サンディエゴ)。
受賞歴
世界視覚障害セーリング大会日本代表
ニューポートエンセナダレース トランスパッククラス2位入賞
資格
あん摩マッサージ指圧師/はり師/きゅう師/鍼灸教員免許/アマチュア無線技士1級免許
主な講演実績
ペニンスラライオンズクラブサンディエゴ
サンディエゴ日経ビジネス協会
メールマガジン「平成進化論」鮒谷周史氏主催・若手起業家集会過去2回講演
十万山クリニック
Lady of Grace School (El Cajon)サンディエゴ
Salt Creek Elementary (Eastlake) サンディエゴ
京都府立東舞鶴高等学校
主なメディア出演
読売テレビ「テレビ朝生ワイド す・またん!」「ウェークアップ!ぷらす」
NBC 7 San Diego「San Diego CBS News 8」、ニッポン放送「辛坊治朗ズームそこまで言うか!」
760kfmb「ニュース(サンディエゴ)」 他多数
主な講演のテーマ
1. D.R.E.A.M~自分の殻を破るための5つのヒント~
挑戦しなければ、失敗もしないし、嗤われることもありません。でもトライすること、夢をもつことを恥ずかしがってはいけない。誰に、何を言われても、夢を持つことをおそれないでほしい。
海外の憧れが強く、盲学校時代にアメリカに留学。帰国後英語を忘れたくないと語学学校に通い、そこで出会った女性と結婚。40歳で公務員の職を捨て、海外移住。ヨットにはまり、太平洋横断の夢を見て、ドキドキしながら日本に手紙を送った。そしてついにニュースキャスター辛坊治郎氏と太平洋横断に挑戦。目の前に何があるのか見えなくても、ひとつ勇気を出して手を伸ばしてみる。触れてみる。全てはそういったちいさな勇気が、芋ずる式にクリエイティブな結果へと繋がっていきます。
2. 命の尊さ、わたしの尊さ
私は13歳の時に残存視力を少しずつ失い始めました。大好きな野球をやっていてもボールが見えずに三振ばかりで、味方に怒鳴られたりもしました。それでも僕は「ボールが見えない」とは言い出せなかった。だんだん、前が見えずに電柱にぶつかっては人と勘違いし謝ったり、歯ブラシに歯磨き粉がつけられず悪戦苦闘。それでも現実をどうしても受け入れられませんでした。自分の将来がどうなるか、不安で仕方がなかった。人の迷惑にしかならない人生だったら、死んだ方が良いとさえ思いました。絶望の淵にいた頃、ぼくはこう思いました。生きる意味などないー、と。ついに全盲になった16歳の夏休み、橋から海に飛び込んで自殺しようと、バスに乗って橋に向かった。でも、どうしても死ねなかった。そのあとは少しずつ、私は変わっていった。私がなんで、どうやって変わっていったのか…。生きていると必ず障壁にぶちあたりますが、その時に、どうやって物事をプラスに考え乗り越えていくのか、僕の経験で培った「ポジテイブなものの考え方」をお話します。
3. 本当に大切なことは目に見えない
「きずな」は目では見えません。でも、確かにそこに在る。目を閉じてみましょう。
何が見えてきますか?隣のひとの気配や、今朝話した友達や先生の声はどんなだったか。どんな感情がこもっていたか。楽しそうだったか、元気がなさそうだったか?目が見えない状態で、誰かの手を握ってみる。手は、ただ単に5本の指がついている物体ではありません。人によってぷくぷくしていたり、熱かったり冷たかったり、その人特有の印象があります。友達に悩みを相談したときどんな気持ちになったか。沢山一緒に過ごした時間や、友情は、カメラで撮っても写りません。でも、確かにそこに在る。目に見えない大切なものを見つめ続ける感受性と、ないがしろにしない勇気を、皆さんにはいつまでも持っていてほしいー、というお話を、全盲になった私の経験を通してお話します。