かち けん加地 健
- 肩書き
- 教育評論家
- 出身・ゆかりの地
- 愛知県
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教育評論家・加地健さんは、犬山市の教育改革に尽力。また犬山北小学校で、校長のリーダーシップを発揮し、斬新な学校経営を展開されました。講演では教育の危機的現状と問題点を提起し、親や教師だけでなく地域住民を含めた「共に学び、共に育つ」開かれた学校づくりについて提言をしていただきます。
プロフィール
1947年生まれ。愛知教育大学を卒業後、1972年に教職に就き、1994年には校長に就任。
1997年から8年間、犬山市教育委員会事務局の学校教育部長などを歴任し、犬山市の教育改革の原動力となった。
2005年から犬山市立犬山北小学校に勤務し、校長のリーダーシップを発揮し、斬新な学校経営を展開した。旧態依然で閉塞感ある体質のなかで孤軍奮闘し教育改革・学校改革に邁進した。
主な経歴
1972年3月、愛知教育大学卒業。
1972年4月、愛知県犬山市立犬山北小学校で教職に就く
1988年、愛知県教育委員会尾張教育事務所指導主事に就く
1991年、愛知県犬山市立楽田小学校教頭就任
1994年、愛知県犬山市立楽田小学校校長就任
1997年、愛知県犬山市教育委員会指導主事就任
1998年、犬山市教育委員会指導課長就任
2002年、犬山市教育委員会学校教育部長就任
2005年、犬山市立犬山北小学校校長就任
2008年3月、退職。
2008年4月、中部大学非常勤講師就任
2009年、東海学院大学短期大学部非常勤講師就任
2013年、三重大学非常勤講師就任
主な講演のテーマ
1. 中央集権的教育行政からの脱却
教育はもともと地方分権である。都道府県、市町村は法律に違反しない限り、様々な試みを行うことができる。ところが、平成10年に中央教育審議会の答申、その後の法令の改正によって教育行政の見直しがなされたが、各自治体が自主的に地方分権を推進し、学校関係者、保護者、地域住民らの期待に応える教育を築いているとは言えない。長年、私は教育委員会事務局で、創意と個性を発揮した犬山市の教育改革を中心的に担ってきた。形骸化した教育行政からの脱却のため、首長と議会、教育委員会の三者の関係の土壌づくりと学校現場の声を聞くことに努めた。さらに、改革は法律の範囲内であることを原則とした。以上の点を踏まえ、私の教育委員会事務局の経験を交えて、文科省頼りの中央集権的教育行政の現状と、その問題点と改善策、さらには分権型教育行政の在り方についての提言など。
2. 日本の教育危機と学校改革
今日、いじめ、不登校、非行、学力問題、学級崩壊などが深刻化し、一方教師の精神疾患、中途退職者、モンスターペアレントなども増加し、学校教育は行き詰まっている。それでも、格別目を見張る教育施策が打ち出せず、手をこまねいているのが教育委員会・学校の現状。学校、教育委員会には、当然のことと認めている常識が、悪弊、疲弊、旧弊となって、歪んだ教育・学校文化を作り上げてきた。それが、学校の旧態依然と教育委員会の事なかれ主義を生み、日本の教育の危機的現状の根源となっている。 こうした状況の中で、私は閉塞感漂う校長会の組織を背景に、斬新な学校改革で自主・自律的な学校経営を推進した。以上の点を踏まえて、教育の危機的現状、及びその問題点と改善策、さらには自主・自律的な学校経営とPTA改革についての提言、私の学校改革の実践例など。
3. 開かれた学校づくり
不審者対策を口実に、学校を閉じる風潮が強まりつつあるなかで、むしろ、私は学校を開くことで不審者の抑止力とした。学校の活性化による特色ある学校づくりのため、校長のリーダーシップを発揮して、「開かれた」学校を目指した。「学校マニフェスト」を全国に先駆けて作成し、毎日の「授業公開日」、校長室の廃止による「語らいの部屋」設置、保護者の企画委員会参加など、学校を開くために多くの手立てを講じた。他に校務分掌の一人一役、1年生の全学期制導入、大学との連携強化などを行った。その結果、NPO、地域住民だけでなく、専門家、学生などによる独自の学校支援体制が築けた。支援は全て無報酬で定期的、或いは常時来校するボランティア50人体制であった。 以上のような、私の学校現場での実践例、学校の閉塞感を払拭する手立、学校改革のための意識改革と教師の使命感と情熱の高揚、保護者・地域住民への啓発と連携の提言など。
4. 特別支援教育の推進
平成18年に学校教育法等が改正され、これを受けて今日、全国各地で特別支援教育の様々な取り組みが進められている。ところが、その推進状況で見えてきたものは、学校現場や子どもの実態に即しない対応策である。 私は法令が改正される以前から子どもの個に応じた指導を進めてきたことで、全国各地から特別な支援を必要とする転校生が相次いだ。また、多くの発達障害を持つ子の保護者が、相談するために来校した。学校独自の取り組みでは、特別支援教育のためのボランテア30人体制を築いた。さらに、特別支援教育の必要性を啓発するために、行政やPTAと連携して市内全域を対象に教育フオーラムを開催し、市民に働きかけた。以上のような、私の学校現場での実践例、及び特別支援教育の現状、子ども・保護者の立場に立った特別支援教育の在り方、校内支援体制づくり、教育委員会のやるべき支援策の提言など。
5.「学び合い」と少人数授業・学級による授業改善
「共に学び、共に育つ」が私の学校運営の基本理念であった。そのために、授業改善では「学び合い」を基盤に少人数授業・学級の工夫に取り組んだ。従来のグループ学習などの話し合いは、教師側の学習方法の手段であったが、「学び合い」では子ども側の学習目的として用いた。隣同士の交互活動が基本となり、教師の指示待ちでなく、子どもの主体性を重視した。わからない子はわかる子に教えてもらう、わかる子はわからない子に教えてあげる。この高め合いの考えは、社会人になってから「生きる力」に繋がる、教育理念。最近、法改正により市町村の判断で少人数学級が可能になった。自治体では少人数級の導入に踏み切るようになったが、その目的が教師側にあることを懸念する。本来は子どもの立場で研修・研究を重ねながら実践していくもの。以上の点を踏まえて、少人数授業・学級の在り方についての提言、私の学校現場での「学び合い」の実践など。
6. 全国学力テスト不参加の真相
犬山市は 43年ぶりに実施された全国学力テストで公立学校では唯一不参加であった。そのことは大きな反響を呼んだが、実際には、「不参加を決定した」のは市教委、「実施しなかった」のは学校。市教委と学校では教育行政と教育現場の違いがあるものの、双方にはその後、果たさなければならない責任があるはずだ。なぜ、このことが問われなかったか。当時、校長として教育委員会に対し保護者への説明責任を訴えてきた。学力テスト当日は、学校へマスコミが殺到して、「賛成」か「反対」かの質問攻めにあったが、「学校現場は子どもが主人公、43年ぶりの学力テストは文科省が主人公」とコメント。不参加の責任は、保護者への毎日の授業公開であった。全国学力テスト不参加に至った犬山市の教育理念と教育施策、及び学力テストにまつわる教育委員会と学校との事実関係、学力テストの在り方についての提言。
7. 親〈保護者〉、地域住民はどう学校・教師と向き合うか
核家族化、少子化、女性の就労化、都市化等が、子育て・教育、或いは地域の教育力に影響を及ぼしている。親(保護者)のなかには、教師になじめなかったり、学校の敷居を高く感じてしまう人が多い。そのために、子育て・学校生活で困った問題が生じても、教師(学校)に相談できないことになる。また、地域住民も同様で、日頃から教師〈学校〉を敬遠していると、教師〈学校)を地域行事や町づくりになかなか参加させられない。我が子が「いじめ」にあったり、地域でラブルが起こって、学校に相談しても口うるさいと誤解を受けてしまう。実際には、学校側に実情を適切に伝えることで、親と学校との信頼関係が芽生えたり、深まったりするものだが。教師(学校)と親〈保護者)・地域住民との間に日常的な交流があれば、教師(学校)との関係が良好になる。教師(学校)との信頼関係による子育て・家庭教育の在り方、学校を変える地域力、学校を核としたコミュニティーについての提言など。
■ その他の講演テーマ
「『共に学び育つ』学びの学校づくり」
「全ての子に学びを保証する教育」
「教師と親・地域住民三者連携による教育」
「子どもが主人公になれる学校」
「学校事故・事件の防止について」