よしむら かずま吉村 和真
- 肩書き
- 京都精華大学副学長・マンガ学部教授
- 出身・ゆかりの地
- 福岡県
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プロフィール
1971年、福岡県生まれ。京都精華大学マンガ学部教授・副学長。
専門は思想史・マンガ研究。「マンガを読む」ことが日常生活に定着するまでの歴史と、そのことが人間の思考や価値観にもたらす影響について研究中。2001年の日本マンガ学会設立や2006年の京都国際マンガミュージアム開館など、マンガ研究の環境整備と社会還元を推進してきた。
主な業績に、『「はだしのゲン」がいた風景―マンガ・戦争・記憶』(編著、2006年)、『差別と向き合うマンガたち』(共著、2007年)、『マンガの教科書―マンガの歴史がわかる60話』(編著、2008年)、『複数の「ヒロシマ」―記憶の戦後史とメディアの力学』(編著、2012年)、『障害のある人たちに向けたLLマンガへの招待―はたして「マンガはわかりやすい」のか』(共著、2018年)などがある。
講師からのメッセージ
マンガは私たちの身の回りにあふれています。本屋やコンビニで売っているものだけでなく、新古書店やマンガ喫茶、床屋や食堂などにも、手垢や油にまみれたマンガが置いてあります。いったい、いつごろ、どのようにして、こんな環境ができたのでしょう。 また、私たちは、絵本やアニメを含め、幼い頃から「マンガ的世界」に接しています。現代日本に住んでいれば、アンパンマンやドラえもんと出会わずに小学生になることはほぼ不可能でしょう。
はたして、その過程で、私たちにはどんな思想や価値観、感性が身に付くのでしょうか。
マンガに潜む『偏見』を知ることで差別について考えてみましょう
マンガの登場人物には、さまざまなステレオタイプや偏見が潜んでいます。
石ノ森章太郎さんの作品「サイボーグ009」を例に挙げてみますと背の低い料理人の中国人や寡黙で大柄なアメリカ先住民に対し、西洋人はスマートに 描かれていて、人種に対するイメージが特徴的に表現されているのです。 また、「めがねをかけている人」は「賢い」、「標準的体形で標準語を話す人」が 「ヒーロー」など、作品を読まなくても役回りがわかるほど、気づかないうちにイメージが 刷り込まれているのです。 マンガは性質上、誇張や省略は避けられませんが、現実は固定化されたイメージ通りではありません。マンガに潜むステレオタイプや偏見について、一緒に考えてみましょう。
主なメディア出演
NHK第一放送「かんさい土曜ほっとタイム」内「まんが博物館」
毎日新聞コラム「みんなのマンガ学」
NHK大阪「旬の人時の人」、NHK全国放送「ラジオ深夜便」など
主な講演のテーマ
1. 差別と向き合うマンガたち-マンガと偏見の複雑な関係-
2. マンガと偏見の複雑な関係-登場人物の外見と話し方から考える-
マンガは私たちの身の回りにあふれています。本屋やコンビニで売っているものだけでなく、新古書店やマンガ喫茶、床屋や食堂などにも、手垢や油にまみれたマンガが置いてあります。いったい、いつごろ、どのようにして、こんな環境ができたのでしょう。 また、私たちは、絵本やアニメを含め、幼い頃から「マンガ的世界」に接しています。現代日本に住んでいれば、アンパンマンやドラえもんと出会わずに小学生になることはほぼ不可能でしょう。はたして、その過程で、私たちにはどんな思想や価値観、感性が身に付くのでしょうか。マンガに潜む『偏見』を知ることで差別について考えてみましょう。
著作紹介
講師紹介動画
聴講者の声
- 人権と言うと切り口が難しい中、マンガという新しい切り口で人権のテーマを持ってくるということが新鮮でした。
- 事例がマンガなので分かりやすく、差別や偏見について日頃気づかないところに気づかされた気がしました。まだまだ入口にすぎない気がします。もう少し深く勉強してみたいと思いました。
- マンガの中にある約束事とステレオタイプ・偏見について、面白くまとめていただきました。とても判りやすく、参加して良かった。九州人とカレーライスはゴレンジャーの刷り込みですね。
- 漠然とマンガを読んでいたが、今日の話を聞いて色んな意味を含んでいることが分かった。身近なことから差別につながる意識がつくられることが恐ろしいし、気をつけないといけないと思った。マンガの影響は大きいと思う。
- マンガと人権のつながり、勉強になった。ステレオタイプについて学ぶことができ、自分の中のステレオタイプ、偏見があるのがわかった。日常的に意識をしていきたい。
- 好きなマンガを通じて、より深く学ぶことができた。マンガの見方が変わるお話でした。多様性の時代、固定観念で表現することはズレが出てきているのでは?と感じました。
- 奥の深い話でおもしろく興味深く拝聴しました。先入観や偏見、主人公が標準体型や標準語を使っているというのは意外だった。ステレオタイプの役割とその怖さをよく考えることができました。身近なマンガという媒体の中に、差別につながる種がたくさんあるということに気付かされました。