いけだ ちきょう池田 智鏡
- 肩書き
- 普光寺住職
- 出身・ゆかりの地
- 福岡県
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駆け落ち、自殺未遂、カリスマ社長、離婚、事業失敗、出家…と波乱に満ちた人生を歩み、現在は平成の琵琶法師として全国各地をまわられている池田智鏡住職。「念ずれば、願いは必ず叶う。小さな事でくよくよ心配することはない」波乱の人生を歩んできたからこそ言える言葉の重みと、魅力的な琵琶の音色に、多くの人々の心を癒し続けています。
プロフィール
1944年北九州市生まれ。高校を卒業後に就職、22歳で結婚、その後離婚する。輸入雑貨卸業の会社を10年間経営し、その後37歳の時に真言宗毘沙門天総本山信貴山で得度。 北九州市普光寺別院『毘沙門堂』の復興に携わる。その後、真言宗から天台宗に転派し、日陽山毘沙門天普光寺の住職となる。琵琶演奏を交えた講演やエイズ撲滅等の活動に取り組んでいる。
27歳の頃までは「我がままで自分勝手」な女性だった。姉夫婦が経営する会社に勤めるも、 28歳の時に会社が倒産。家族で何億もの借金を抱える地獄に陥る。その後離婚を経験し、30歳で輸入雑貨卸業の会社を立ち上げ、次々と事業拡大を行うも、やがて借金が5000万円にまで膨れ上がってしまう。足元を固めずに、事業欲と焦りが生んだ結果となった。借金返済の為、本業の他に保険会社と化粧品会社を掛け持ちし、睡眠時間3時間でがむしゃらに働いた。
カリカリしている日々の中、仕事関係の人がふらりとやってきてある言葉を残していった。「俺が俺がの我(が)を捨てて、お陰お陰の下(げ)で生きる」。このたった一言が胸に突き刺さった。「思わず号泣したんです。『神仏拝むなら我拝め』と言っていた私が、自然に手を合わせるようになり、頭を下げることができるようになったんですよ」。そして借金の苦しみのなか得度する。37歳の時だった。
主な講演のテーマ
1. 人間力を磨く
2. 琵琶で奏でる女の半生
3. 人生に無駄な事は何ひとつない
4. おれがおれがの「我(が)」を捨てて、おかげおかげの「下(げ)」で生きる!
聴講者の声
池田智鏡さんのお話しは、自分にとって大きい課題のようなもので、心がスッキリしました。人からの悪口をいつまでも抱えるような性分で、それが私を苦しめておりました。先生のおっしゃるように、すぐにはできないと思いますが努力したいと思います。ひとつの光明をいただきました。本当にありがとうございました。