かとう けんと加藤 健人
- 肩書き
- ブラインドサッカー選手
- 出身・ゆかりの地
- 福島県
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18歳の時に視力を失う難病「レーベル病」となってから、ブラインドサッカーと出会い、その後、日本代表となった加藤健人さん。現在は、盲学校でのブラインドサッカー教室や自身の経験を活かしてイベント・講演を積極的に行っています。
講演では、「困難を乗り越えて人は成長する」をテーマに病や障害と向き合いながら、選手として競技を続けている3人が、病や障害と向き合うことで感じたこと、また、その苦難を乗り越えて成長し続ける、その想いについてお話しいたします。
プロフィール
1985年福島県出身。小学3年生の時にサッカーを始める。高校生の頃からレーベル症という遺伝性の病により、徐々に視力が低下。目が不自由な現実を受け入れられずに悩んだ時期もあったが両親の協力もあり、19歳のときにブラインドサッカーと出会う。競技を始めて3年ほど経った2007年に日本代表に初選出され、それ以降13年連続で日本代表強化指定選手に選出され続けている。
現在はアクサ生命の広報部に所属し、ダイバーシティ&インクルージョンアンバサダーとして社内外への広報活動を担いながら、埼玉T.Wings(ティーウィングス)の一員として東京パラリンピックでのメダル獲得を目指している。座右の銘は“始めなければ始まらない”。
主な講演実績
NPB新人研修会/福岡市宇美町/日本文芸社/博多経友会/福一不動産/スポーツオーソリティー/福岡大学 他多数
主な講演のテーマ
『始めなければ始まらない』
遺伝性の視覚障がいの症状が出始めたのは高校生のころ。それまでは小学3年生から始めたサッカーに勤しむサッカー少年だった。徐々に目が見えなくなっていく中、日常生活への支障はもちろん大好きだったサッカーも続けられなくなった。
高校を卒業したあと、「自分はもう何も出来ないんじゃないか」と自宅に引きこもりがちになっていった。そんな中、両親が見つけてくれた「ブラインドサッカー」というスポーツ。最初は乗り気ではなかったが、いざやってみるとサッカーと変わらない競技性とブラインドサッカーならではの魅力に虜になった。それから3年で掴み取った日本代表の座、一度どん底を味わったカトケンだから伝えられる、一歩を踏み出す勇気をお届けします。