伊藤 真波

いとう まなみ
伊藤 真波

肩書き
日本初片腕義手の看護師
北京・ロンドンパラリンピック競泳日本代表
出身・ゆかりの地
静岡県

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交通事故による片腕の切断で、一度は看護になるという夢を諦めざるを得なかった伊藤真波さん。しかし、一度しかない人生をもう二度と後悔したくないと夢に向かってもう一度歩み始め、日本初の片腕義手の看護師となりました。講演では様々な経験を通じて「あきらめない心」をテーマに、“あきらめない”という言葉の本当の意味や、人の絆の大切さなどをお伝えします。

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プロフィール

1984年 静岡県出身、5歳から水泳を始める
2000年 静岡県立清水西高等学校衛生看護科 入学
2003年 静岡県医師会看護専門学校 入学
2004年 交通事故に遭い右腕切断。兵庫県立リハビリテーション中央病院にて義手製作に取り掛かる
2007年 神戸百年記念病院 入職
2008年 北京パラリンピック 100m平泳ぎ 4位、100mバタフライ 8位
2010年 アジアパラリンピック  100m平泳ぎ 2位
2012年 ロンドンパラリンピック 100m平泳ぎ 8位
2015年 神戸百年記念病院退職
現在、育児をしながら講演活動をしている

主な講演のテーマ

『あきらめない心』

私は交通事故で右腕を失いました。当時看護師を志すどこにでもいる20歳の女の子でした。
突然の事故で今まで当たり前にあった生活を失いました。右腕だけでなく、夢や希望を失った私にはどん底の人生しか待っていないと覚悟しました。しかし次第に以前のように「笑いたい」「幸せになりたい」と心から思えるようになり前を向く決心をしました。
社会復帰するまでのいくつかの不安や葛藤は「夢や希望」があったことで乗り越えていけました。
そして一番に親の存在や苦しい時の家族との関わりが今の私に大きく影響しています。
こどもの頃は親からの愛情やありがたみがわかりませんでした。
事故に遭って周りの人たちに支えられて生きていることを痛感しました。
何事もあきらめずに取り組むことが自分を後に大きく成長させてくれることを伝えたいです。

カテゴリー

官公庁向け
教育・学校・PTA
福祉・高齢・介護・医療
文化・生涯・国際・異文化交流
スポーツ

聴講者の声

  • 一番心に残ったのは、「私は輝く人になりたかった。みんなはどんな人になりたいですか?私は輝く人になりました!」と胸を張って話された伊藤さんの姿です。講演で、“なりたい自分”とは何かを改めて考えさせられました。伊藤さんのように、常に前向きで、まわりを笑顔にできる人、そして自分の意志を貫くことができる心の強い人になりたいです。
  • 今日の話を聞いて、私は自分ではやっている、頑張っているつもりでも、ラインを決めて最後までやりきっていなかったんだと思いました。そして、自分は嬉しい時一緒に喜んでくれたり、落ち込んでいる時に話を聞いてくれたり、数え切れない友だちや先生、家族、周りの人たちに支えられているんだということを改めて考えさせられました。
  • 難しいことからすぐ逃げ出す自分。ある程度やって後は流す自分。挑戦せずすぐあきらめる自分。本当に今の自分は情けないと思います。伊藤さんの「どんな大人になりたいですか?」という言葉が一番心に残りました。伊藤さんは堂々としていて、キラキラとして格好いいなと思いました。私もあんなに堂々と自分の人生を語れるような大人のなりたいと思いました。
  • 義手をつけながら、看護師という大変な仕事をされているのはすごいなあと思ったし、私はそういう障害がないのにすぐにあきらめたりするのは、少し情けないなと思えるようになりました。バイオリンの演奏は、義手でもこんなに人を感動させる力があるんだなあと思いました。私の夢は看護師になること。様々な困難に立ち向かうことがあると思うけど、あきらめず、自分を信じて夢を叶えて輝ける人になりたいです。
  • 義手をつけてのバイオリン、看護師の仕事は世界で1人といわれていたけど、それができるまでに時間は、私には想像できないくらいつらかったと思います。でもあきらめずに自分の苦手なことに正面から向き合おうと取り組んでおられる姿を見て、「本当に格好いいな、自分もなりたいな」と思いました。
  • 片方の腕を失っても水泳や看護師さんをされているのに、私はサボったりあきらめたりする自分がどこかにいたと思います。中学1年生でいられるのはあと少しで、その間に挑戦したいことは一杯あります。いつかかっこいい大人になるために、今目の前にあることから逃げずに挑戦していきたいです。

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