たちもと はるか
田知本 遙
- 肩書き
- 元柔道日本代表
- 出身・ゆかりの地
- 富山県
プロフィール
1990年生まれ、富山県射水市出身。小学校2年生から姉の愛と始めた柔道。高校1年生でインターハイ団体優勝を経験して以降、数々の大会で好成績を収め、柔道の名門東海大学へ進学。4年時の全日本選抜で優勝し、ロンドン五輪の切符を手にした。しかし本大会では準々決勝の試合中に肘を痛め、初めての五輪は7位と悔しい結果に終わった。
大学卒業後は綜合警備保障(ALSOK)に所属。迎えた2016年4月の全日本選抜で五輪代表の座を勝ち取り、2大会連続となるリオデジャネイロ五輪代表に選ばれた。姉妹での出場を目指していたが、姉は全日本選手権の決勝で大怪我を負い無念の敗戦。五輪本番には柔道日本代表で唯一人ノーシードで出場。2回戦で世界ランキング1位のキム・ポーリング選手(オランダ)と対戦し延長戦の末に強敵を下すと、準々決勝でも延長戦を制し、準決勝では大外刈で技ありを奪い優勢勝ち。決勝ではジュリ・アルベアル選手(コロンビア)を抑え込み1本で破って金メダル、姉妹で目指した世界一の座を掴んだ。
2017年、27歳の時に約20年の及ぶ競技人生を終えた後は、筑波大学大学院でスポーツ健康システムマネジメントを専攻。大学院卒業後は国内外で柔道教室や講演活動を行う一方、2022年には講師として「COCO Judo Academy」の活動も始動した。
頂点から見えたもの ―「勝ち」よりも「価値」― を大切にしていく柔道アカデミーとして、“ここ”が子どもたちの健やかな“心”の居場所になれるようにと、国内外の子どもたちへの活動に力を注ぐ。
キーワード:田知本遙
主な講演のテーマ
『頂点から見えたもの“勝ち”より“価値”』
小学校の2年生に姉の田知本愛と始めた柔道、夢だったオリンピックに2012年(ロンドン)に初出場。しかし、初出場を果たしたロンドンオリンピックは怪我をしてしまい無念の7位に終わった。
彼女が感じていたことは・・・オリンピックに出場すること、すなわち結果が全てだと思い込んでいたこと。その結果、ロンドンオリンピックは無念の7位に終わり、モチベーションが上がらないなど、苦痛の2年間を味わった。そこから4年後、奮起をかけた2016年リオデジャネイロオリンピックに2年連続の出場を果たしたが、もう一つの夢であった姉妹でのオリンピック出場は叶わなかったが、姉の分まで頑張ると決めた田知本は見事に金メダルを獲得した。
ロンドンオリンピックでどん底に落ちたところから、どの様にしてモチベーションを上げることが出来たのか?また、彼女が頂点に立ったことで見えた本当の“勝ち”とは何だったのか?
頑張り続けたことで見えてきた“価値”をお話します。