やまだ えり山田 恵里
- 肩書き
- 元ソフトボール選手
女子ソフトボール日本代表(2004年,2008年,2020年) - 出身・ゆかりの地
- 神奈川県
この講師のここがおすすめ
“ソフトボール界のイチロー”の異名を持つ山田恵里選手。
北京、東京五輪では全日本の主将として、走・攻・守全てにおいてチームを引っ張り、金メダル獲得に大いに貢献しました。山田選手が活躍し続ける裏側には、ビジネスをはじめ、すべての勝負に通じる思考法がありました。講演では、たとえ勝っても結果オーライで終わらない、考えることを放棄しないなど、貴重な教訓を含むその思考法やあきらめない心についてお話いただけます。ソフトボールファンにはもちろん、それ以外の人にとっても、得るところの多い講演です。
プロフィール
1984年、神奈川県出身。
小学1年の時、兄がいた少年野球チームにはいり、野球を初める。中学入学後は、男子の野球部に所属。中学3年の時には不動の1番バッターをつとめた。高校入学と同時に、女子は甲子園には出場できないと知り、高校からはソフトボールを始める。高校2年、3年と、インターハイ優勝。
高校卒業後、日立製作所に入社。日本リーグで本塁打王、打点王、ベストナイン、新人賞を獲得したほか、シーズン最多打点、最多得点、最多二塁打、最多盗塁、8連続安打のリーグ記録を打ち立てる。
2003年、日本代表でジャパンカップ優秀選手賞を獲得し、日本リーグでもベストナインに選ばれる。
2004年、アテネオリンピック女子ソフトボール日本代表に選出。銅メダル受賞。
2008年、北京オリンピック女子ソフトボール日本代表に選出。主将も務め、金メダル受賞。同年、紫綬褒章受章。
2013年、アメリカ女子プロソフトボールリーグ(NPF)に参入している「シカゴ・バンディッツ」に練習生として所属し、日本リーグのオフシーズンにプロリーグに参戦。
2014年、NPFに参入している「ダラス・チャージ」に所属し参戦。
2020年 12月31日、日本女子ソフト1部リーグ 日立製作所退団。
2021年 2月1日付で同リーグのデンソーに移籍。
2021年 7月25日に行われた横浜スタジアムでの東京オリンピック、カナダとの予選リーグで延長8回裏に、一死満塁でセンター前ヒットを放ち日本の決勝進出、金メダル獲得に大きく貢献した。
主な成績
日本リーグで以下の部門で通算歴代1位になっている
・通算安打 :362本
・通算二塁打:47本
・通算三塁打:16本(1位タイ)
・通算本塁打:40本
・通算打点 :182点
主な講演のテーマ
1. 今を一生懸命生きる~当たり前のことはない人生~
・野球との出会い、野球とは何か?
・少年野球時代「女の子だけど…」
・中学野球時代「中学3年では1番センターの定位置を獲得。卒業後は甲子園を目指す」男子の中で、
定位置を獲得したメンタルコントロール、モチベーションとは?
・高校ソフト時代「女の子は甲子園に出場できない…」挫折と、ソフトボールに転向した訳とは?
野球とソフトボールの違いとは?
・インターハイ二連覇の裏側とは?
・「自身の練習法、試合に臨む時のルーティンなど」
・オリンピック出場「2004、2008、2021年とソフトボール日本代表に選出。それぞれの結果とは…」
・「なぜソフトボールを続けるのか?」
・「ソフトボールのオリンピック復帰まで自身がだした行動とは?」
・「2020年 オリンピック復帰決定!」
・「常に感謝の気持ちを持って前へ」その意味とは何か?
・これからの目標、伝えたいこととは?
2. 夢を諦めなければ必ず叶う
北京五輪、東京五輪で金メダルを獲得したチームの主将として活躍し、卓越したセンスから「女子ソフトボール界のイチロー」と呼ばれていますが、そこに辿り着くまでに多くの困難や壁がありました。それを一つずつ乗り越えることで長年トップ選手としてプレーし、自分の夢を叶えてきました。小学校時代からの野球・ソフトボール人生を交えながら夢を諦めなければ必ず叶うという熱いメッセージをお伝えします。
3. 結果を出し続ける思考法
ソフトボールを始めたきっかけは中学卒業後に甲子園を目指していたが、女子は出場できないと知ったことでした。
そこから高校インターハイで2連覇。実業団では数々の記録を塗り替え、15年以上もトップレベルで活躍し海外リーグにも参戦。3度五輪に出場しチームの銅、金、金と3度のメダル獲得に貢献。どんな時でも自分には何が足りないか、どうすればもっと成長できるのかを考えることで結果が出し続けることが出来ました。
そのためには継続していくことが大切なのです。結果を出し続けるために必要な思考法をお話しします。