もみたに しょうご椴谷 昌吾
- 肩書き
- シンガーソングライター
- 出身・ゆかりの地
- 兵庫県
この講師のここがおすすめ
筋肉が衰える難病「筋ジストロフィー」を発症した椴谷昌吾さん。病気を受け入れることができず入院を拒んでいましたが、地道にリハビリを続けている人たちと接するうち「苦しいのは自分だけじゃないんだ」と気付き、同じような苦しみを感じている人が前向きになれるよう歌い続けています。
講演では、オリジナル曲とともに、突然の病気や怪我による当たり前にしていたことが出来なくなる苦しみや悲しみ。その葛藤から立ち直るために本人と家族はどう向き合うか。本人と家族に対しての福祉のあり方や福祉に携わる人の心配りや配慮・障がい者に対する社会と心の壁についてお話しします。
プロフィール
会社勤めをしていた27歳の時に難病 筋ジストロフィー(ベッカー)を発症。
2008年より病気の悪化によりリハビリテーション病院へ入院。10年間にも及ぶ葛藤の中、立ち直りシンガー・ソングライターとしてリハビリテーション病院の患者さんとその家族の応援歌や心境を歌う。病気と闘いながら社会復帰への希望を歌った内容で「患者らの励みになる」と好評。その活動が神戸新聞に記載される。
講師からのメッセージ
当時私は、難病になる事さえ考えていませんでした。普通に生活して普通にスポーツしていました。
ある日突然身体が重くなり、寝汗をすごくかき、身体がみるみる痩せていき、微熱が一か月以上続き、立つ事さえ辛くて階段が自力で上がれなくなり、足の筋肉が一気に痩せていました。
それでも、ただの過労と思い仕事をしていました。私は、あまりにも息苦しすぎてたまらないので病院へ行き診察を受け先生が私の足を見て筋ジストロフィーと診断されました。聞いた事もなければ信じられない思いで他の病院へも行きましたが結局、筋ジストロフィーと診断されました。
その頃の私は【何で自分だけが治らない難病に】と思って親をせめ、周りの人が羨ましく思い人生が終わったと自殺を何度も考えて行動にうつしました。しかし、身体に異常な力が入り自殺さえも出来ませんでした。振り返ると10年経っていました。
本当に無駄な時間を過ごしいつまでもくよくよしてもきりがないと思い、この経験を同じように苦しんでいる人や突然の出来事に葛藤されている人に伝えて少しでも前向きになればありがたいと思いました。この経験を作詞作曲して歌い、そして社会復帰される方々の気持ちや応援する歌も作詞作曲し難病や事故などで苦しんでいる人とその家族の方々の人間模様を作詞作曲して自身で歌っています。
主な講演のテーマ
- 突然の病気や怪我による人生の転機と葛藤
- 本人と家族のあり方そして福祉に携わる職員の接し方
- 障がい者に対する社会と心のバリアフリー