たてやま しょうへい館山 昌平
- 肩書き
- 福島レッドホープス 投手チーフコーチ兼企画運営
野球解説者/スポーツコメンテーター
元プロ野球選手 - 出身・ゆかりの地
- 神奈川県
プロフィール
1981年生まれ、神奈川県出身。
日本大学藤沢高校ではエースとして活躍し、1998年の春のセンバツではベスト4進出を果たした。同級生で同じ神奈川県の横浜高校・松坂大輔との対決は1997年秋の県大会決勝、同年関東大会決勝、1998年の春の関東大会決勝と3度の投げ合いを演じるものの、いずれも惜敗。松坂大輔を何度も追い詰めたこの両者の対決は今も語り草となっている。
日本大学に進学後は同級生の村田修一(元横浜、巨人)らとともに活躍し、3年時の2001年にはエースとして17季ぶりのリーグ優勝に貢献。また第34回IBAFワールドカップにもプロ・アマ混合の日本代表に選出。翌2002年のドラフト3巡目でヤクルトスワローズに入団。
1年目から先発ローテーションに定着し、2008年からは5年連続2桁勝利。2008年に最優秀勝率、2009年は16勝を挙げ、最多勝に輝いた。3度のトミージョン手術など、計10度の手術を敢行。2015年にカムバック賞を受賞するなど、大怪我や手術を繰り返しながらも復帰する度に150km/hを記録するなど復活を果たしてきた。
2019年に惜しまれつつも現役を引退し、翌2020年から東北楽天イーグルスの二軍投手コーチに就任。データの活用や自らの経験を踏まえ若い投手陣に指導を行った。
2022年からはルートインBCリーグの福島レッドホープスの投手コーチ兼企画運営に就任。福島を拠点に野球を通じた地域創生にも力を入れていく。
主な講演のテーマ
1. 10度の手術、191針からのカムバック
現役16年間で最多勝のタイトルを獲得し、エースとしてもスワローズの14年ぶりのリーグ優勝に貢献した館山昌平のプロ野球人生は長い怪我との戦いでもありました。3度のトミージョン(靭帯再建)手術を含む計10度の手術で縫った針の数は計191針。文字通り傷だらけになりながらも、そのたびに復活してきた鉄腕は度重なる怪我や逆境をどのように乗り越えてきたのか。その秘訣を不屈の鉄腕、館山昌平のストーリーを通して皆さんにお伝えします。
2. 挫折するたび強くなる~逆境を乗り越える館山流のセルフマネジメント~
※オンライン講演会も対応可能です。