すずき ひとみ鈴木 ひとみ
- 肩書き
- 人権啓発講師
エッセイスト - 出身・ゆかりの地
- 大阪府
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鈴木ひとみさんは、ミス・インターナショナル準日本代表に選ばれ、ファッションモデルとして活躍中、交通事故で頚髄を損傷し車椅子の生活になりました。その後、射撃の日本代表選手でアテネパラリンピックに出場したほか、企業のバリアフリーコンサルタントを行うなど、さまざまな分野で活躍されています。
講演では、今ある状態でいかに人生を楽しめるか、自分を最大限に行かせるかが大切であること、自分の心(考え方、物事の捉え方)を変えると、世界は変わることを教えていただけます。
プロフィール
1981年、神戸にて行われた『ミス・インターナショナル日本大会』において、1982年度ミス・インターナショナル準日本代表に選出
1981年、モロッコで行われた『ミス・ネーショーン世界大会』に出場し、ミス・エレガンスに選出。1983年モデルデビュー。
1984年、仕事の帰路、交通事故で頚椎を損傷、リハビリ開始。
1985年、鳥取で行われた身障者の国体に出場し、2種目に大会新記録で優勝
1987年、イギリスで行われた『国際ストークマンデビル競技大会(車椅子競技の世界大会)』で金メダルを獲得
2004年、アテネパラリンピック、射撃で出場
2011年よりNHK障害福祉賞審査員
現在は、執筆・講演活動の他、洋服メーカーのモデルとアドバイザー、企業のバリアフリーコンサルタントとしてアドバイスなどを行っている
主なメディア出演
NTV「スーパーテレビ」で『車椅子の花嫁の15年』として放送される他、
「徹子の部屋」、「クイズ$ミリオネア」「ザ・ベストハウス1・2・3」
「アンビリバボー」等、テレビ番組に多数出演
主な講演のテーマ
1.『車椅子からの出発(たびだち)~絶望のどん底から這い上がるまでの軌跡~』
1981年のミス・インターナショナル準日本代表に選ばれ、ファッションモデルとして順風満帆の日々を送っていた私から、一瞬の交通事故はすべてを奪っていきました。 体の自由を失い、想像もしなかった奈落の底に突然突き落とされた私が、二年間の入院生活を経てどのように立ち直っていったのか、ありのままを語ります。
2.『みんな 一人の価値ある人間です~生まれ・障害・性別で変わるものではないはず~』
人の価値とは何でしょうか?
差別はいけない、なんて皆、理屈では分かっています。ところがそれは無くなってはいません。なぜ?障害は何も体だけはありません。性別・生まれ・老齢あらゆる障害が世の中にあります。
カナヅチな人、音痴な人は、泳げない事や唄が下手な事に対して劣等感を抱く事はあっても、人間全体の価値まで劣っているとは考えないのが普通です。ところが、一旦、障害者となると、本人も周囲もその人間性すべてを否定的に考えてしまいがちです。横並び意識の強い日本社会の中で、等しいはずの人間の価値が、一部の身体的能力や生まれ育った環境によってなぜ歪められてしまうのか、その本質をひもときます。
3.『合理的配慮の提供義務について~ダイバシティ推進~』
平成28年4月から施行される改正障害者雇用促進法のうち、合理的配慮の提供義務について、具体的例を出し、共に考えていきましょう。これは障害者が権利を主張するものではなく、働きやすい環境の下に、障害者自身がより社会貢献したい、という前向きなものです。雇用側と共に互いの利益と幸福を求めることの意味について考察する。
同時にUD、バリアフリーの違いは何か?をお伝えしたい。2020年東京オリンピック・パラリンピックへ向けて、ハード・ソフト両面の配慮が、2020年以降の遺産になることを目指します。
4.『人に優しい地域づくり、街づくり~すべての人に対してやさしい街づくり、住み良い地域とは何か~』
日本には、車いすを必要とする障害者が200万人以上います。一学年150人の中学校なら6人、満員の東京ドームには700人の車いすの人がいるのが普通なのです。
さらに、直接的な障害者だけではなく、高齢者、怪我をしている人、妊娠している人、小さな子供を連れている人、重い荷物を持っている人、さまざまなハンディキャップのある人が街に氾濫しています。少子化・高齢化の中、だれもが住みやすい街づくりを模索しています。「心の世紀」と言われています。私たちに何ができるでしょうか。
5.『ユニバーサル・デザインについて~地道なユニバーサル・デザインの実践が社会を豊かにします~』
ユニバーサル・デザインというと「誰かがすこしづ我慢をする」という印象があります。実は逆です。
障害者にとって使い勝手が良いだけでなく、一般の利用者にとっても快適な施設を作ることは可能です。それらは矛盾するものではありません。「あなたを幸せにするもの」は私も幸せにします。私は車いすを使っていますが、他の部分は健康で、腕は平均的な女性よりも力があります。もし建物に段差が無ければ私は障害者ではなくなります。障害のある人が同じスタートラインに立つために必要な設備は確かにありますが、それは「障害者専用」である必要はありません。
ユニバーサル・デザインを普及させることにより、ハンディのある人が社会参加出来る、またそれが社会全体の最適化にもつながる。ユニバーサル・デザインはすべての人が豊かになるためのもの。これが私の考える福祉の本質です。
6.『悩みながら前を向く~いじめに遭って、一番辛いことは何でしょうか?』
いじめにより自殺にまで追い込まれる子ども達、そして現在、日本で一番自殺が多いと言われる40代、50代の男性たち。両者に共通することは「孤独」ではないでしょうか。
私自身のことを申せば、私は22歳の時に交通事故で車いすの生活となりました。
医者から「一生、車いす生活が続く」と宣告された時は自ら死を考えました。
しかしその後、当時を振り返ってよく考えてみると、「車いすイコール死にたい」ではなかったのです。車いす生活になったため、「もう社会から必要とされない人間になった」「以前の友達が離れていくに違いない」「一人だけ別の世界に取り残された」という思い、つまり孤独が死を結びつけていたのです。幸いにも恋人の変わらない愛、親や友人達の支えがあって、私は障害を克服することが出来ましたが、実は同じ思いを小学生の頃にも経験しています。
いじめられていた自分を恥だと感じ、小学生で負った心の傷は今も消えない、その後の人格形成にも影響しています。しかし、それでも人は幸せになれます。
辛いことや苦しいことの経験は決して無駄に終わらない。
生きていれば必ず春がきます。相談出来る親や友達も居なくて、じっと1人で耐えている子(人)もきっと居るでしょう。でも、どうか死なないで。何故なら、人生は10代より20代のほうが楽しいから。20代より30代のほうがもっと楽しい。「車いすでも?」と思うかもしれませんが、車いすであってもなくても、そうです。この世に生を受けたこと、それ自体が最大のチャンスではないでしょうか。
7.『パラリンピックが私にくれたもの~残された能力を受け入れ、引き出していく限りなき挑戦で得たもの』
障がい者となった当時、私が一番辛かったのは体の自由が利かなくなったことではありません。それは、誰の役にもたたない、社会の荷物になってしまったのではないか、という言いようのない疎外感でした。
車いすに乗った当初は貧血で気を失っていた私が、車いす陸上の世界大会で金メダルを取り、射撃でアテネパラリンピックに出場することが出来ました。さまざまな葛藤をへて、やがて自分の人生を素直に受け入れ、今は悩みながらも成長することの喜びを味わっています。
「障害者はこう生きるべきだ」という基準などありません。それは自分自身で決めること、そのためには障がいを受け入れ、自分の残された能力に期待をすることだと思います。
8.『スポーツを通して「人権」を考える~射撃競技を通じ、国、性別のこと、私が感じた人権について考えたこと~』
射撃の国際大会に出場するようになり、海外を転戦してみて肌で感じるのは「この種目は西欧で生まれた男性のためのもの」ということです。今は戦争や決闘の武器としてではなく、誰もが楽しむスポーツとして確立されていますが、国を代表して世界レベルの戦いをしていると、目に見えない多くの壁に気づかされます。日本で暮らす限り、私のハンディキャップは車いすに乗っていることだけですが、場所や環境の違いによっては、東洋人であること、女性であることもハンディとなります。私自信はなにも変わらないのに、どこにいるか、いつの時代にいるかで、障害は増えたり減ったりするのです。射撃というスポーツを通して、社会の中にある見えない壁とは、人間の権利とは、平等とは、という問題提起を行います。
9.『命を学ぶ~限りある命を充実させて生き抜きたい~』
命は大事である、と誰でも言うが「なぜ命が大事なのか」を説明できますか?私自身が「小学生の頃に受けたいじめ」「交通事故で車いす生活になった」時に死にたいと思いながらも、今、生きている事実。
この事実に至った経緯、生きる喜びを感じている今。生(なま)のエピソードをお聞きいただき、一緒に「命」を考えましょう。また世の中には違った人がいて当たり前、そのひとつ車いす、聴覚障害の日常生活、家の中、仕事やスポーツの場面をパワーポイントで紹介しながら不便を乗り越える方法、毎日を充実する工夫をお見せします。
それぞれの人が「命」を考える機会になれば嬉しいです。
10.『患者の生の声を聞いてください~障害を持つ前と後の気持ち~』
1年7ヵ月もの入院生活。また障害をもつ前と後の気持ちを受け入れるために何が良かったのか。
体のリハビリよりも「心のリハビリ」これが実は一番困難なことでした。
しかし、それを乗り越えれば、体のリハビリもスムーズに行きます。
何がそれを阻害するのか?
それは劣等感や自分を「一般の人よりの劣った半人前」だと卑下する気持ちです。
理屈では「人は平等」と分かっていても「障害」を持つとそれは理屈ではなく、目に見えない重りを持つような苦しさを背負います。家族、周りの人たちによって、その困難は乗り越えられます。どうやって乗り越えられるのか。
著作紹介
聴講者の声
- 貴重なお話を聞くことができました。心に深く響く、鋭い見方の言葉にふれることができ、自分の視野を広めることができました。当たり前のことに感謝をし、日々を暮していきたいと改めて思いました。
- 人権という言葉の響きはむずかしいが、何か特別なことをやる事ではなく、みんなが気持ちよく暮らせることだとだと思いました。当たり前のことに感謝をし、日々を暮していきたいと改めて感じました。
- 健常者、障害者の差があってはいけない。鈴木ひとみさんの笑顔が素敵でした。今までの努力が今の幸せにつながっているのだと思います。心に深く響く、鋭い見方の言葉にふれることができ、自分の視野を広めることができました。